すでに雲長の記事は投下したというのに何の話があるというんだ……
このラジオは気が済むまで孫に繰り返し聞かせる年寄りのように同じ話をします。気に入ったナンバーをかけ続ける狂気が鳴り響くから気をつけろ。
聞いてくれ今日のナンバー
「やっぱりどう考えても雲長優しすぎて夜ごとうなされている」
孟徳、雲長、孔明のシナリオは三大事件で、考え始めると止まらなくなるし涙も止まらなくなるし咳も止まらなくなる。
孟徳も雲長も、助けてなんて顔してないくせに、出口のない迷路に立ってて、どちらも花ちゃんがいなければ出られない。そしてどちらもガッチガチのど真ん中の、太陽がいなければ生きていけない月の男だ。おっと孔明の話は今はちょっとやめておこうか。ややこしくなるというか道が逸れるというか、アナ雪の話しようって時にごんぎつねの話をするなみたいな感じで収拾がつかなくなる。
雲長優しすぎる。返す返すも優しすぎない?雲長優しすぎない?
花ちゃんと出会って以降の言動、見返すとマジで優しすぎてご無理申し上げる。
何故こんなに雲長は優しいのか?
1、玄徳軍がハッピーな連中
他に比べて玄徳軍、みんな心が健康(仲謀軍もファミリー感すごいけど目の細い人が不穏パワーを背負ってるし、早安の境遇とかノーハッピー)常にお金はあんまりないし住所不定無職みたいな感じあるけど、まあ肉食えばなんとかなる!みたいな前向きさ、雲長には救いだったのではなかろうか。
2、本物の関雲長いいやつ
三国志ではない世界ではあるものの、関雲長は人格者とされている。彼を拾い、面倒を見ていた本物の関雲長も、さぞや立派な男だったのだろう。憧れの存在だったろうし、武器の扱い以外にも、いろいろなことを学んだに違いない。そういう男の背中を見て育ったならば、自然と強く優しい男になったかもしれない。
3、もともとの気性
過度な期待につぶされかけたティーンの眼鏡だ。生まれながらの菩薩だったとは思わない。思わないけど、きっと裏道や手の抜き方を知らない、繊細で優しい心根だったんだろうなと想像できる。
いろいろ考えてみたけど、どれがということなく、全部なんだろう。雲長の過ごしてきた全部が、寂しい気配をにじませながら慈悲深い眼差しを持つ、雲長に息づく優しさを作ったんだろう。
パッと見すぐにわかる優しさではなくて、根本的な、何も知らぬ彼女の身の振り方というものを案じている優しさ。
そのまま行けば、いずれ避けられない現実やこれから出会う誰かに、立ち直れないほど傷つけられるかもしれない、だから先に頬を叩いておく、という厳しさで守る優しさ。
厳しさは相手を委縮させる。疎ましがられるかもしれない嫌われるかもしれない。そういう役回りをしてまで警告する人は、本当の意味で情に厚く、思いやりが深い。
初っ端から、馬に乗せてやって乗り方をさりげなく指導してやったり、主に仕える覚悟を脅す形であれ教えてやったり、飲み物をやったり手作りの菓子を食わせてやったり、夕日を見せに行ってやったり、本を……取り戻してくれたり……(涙声)
太字で言いたい。本を取り戻してくれたり。
本を!取り戻す!
何が胸が熱くなるって、そうしてくれるのは、何も雲長ルートに限ったことではない、ということだ。
孟徳軍以外のルートすべてで、孟徳を始末する千載一遇のチャンスと引き換えに本を取り戻し、花ちゃんに返してくれる。
雲長ルートじゃないし、なんなら好感度が1だとしても!それ以下だとしても!雲長は!絶対に花ちゃんの本を優先してくれる!
雲長ルートやる前は「な、なんていい人なんだ……」だったけど、やった後は「ア゛ア゛ア゛」ってPSPの画面が吐息で曇る。
雲長はどれだけ大事なものか、価値が十分にわかっていた。
失えばどうなるか、身をもってわかっていた。
命の次に大事な、元の世界に帰るための替えのきかないアイテムだと、知っているから取り戻してくれた。
しかし逆に「知っていたからこそ」取り戻すことなく、見捨てることだってできたのではないか?
私が思う、雲長の優しくて優しくて痛ましいほど優しい点は、ここだ。
雲長はもう戻れない(本人はそう確信している)
ずっとこの先も、薄れる記憶と付き合いながら、借り物の関雲長をつとめていかなければならない。
しかし花ちゃんは、空白を埋めれば帰れる。
本を手にしている限り、無限回廊のようなこの世界から抜け出す希望を持っている。
絶望を繰り返して、心が壊れかかってしまった人なら、こう考えてもおかしくない。
“自分と同じようになってしまえ”
倦みつかれた心が隙を作り、そこに魔が入り込む。
ずっと一人であったなら、傷をなめあう同士が欲しかったのではないか。
出られないならばせめて道連れを、という暗い発想がよぎるのではないか。
雲長が置かれていた状況を思えば、もっと疲弊して、もっと冷めて、もっと無関心で、もっと人でなしでもいい。許される。それだけの責め苦を味わってきた。人の身では耐え難い事だ。
狂わせるのに十分な地獄にあり、これから先もそうなるだろうという諦めを覚えながら、雲長は生きている。
そんな中、現れた花ちゃんは、これまで蓋をして閉じ込めて、目をそらしていたものをひっくり返す存在。諦めたい雲長には脅威ともいえる。
苛立ちを感じた瞬間はあっただろう、もう期待を持たせてくれるなと煩わしく思うこともあっただろう。
自分と同じなのに自分とは決定的に違う、何も知らぬ小娘を、呪ったとしても責められない。
だというのに、冷たく突っぱねたことはあっても、彼の「花ちゃんの未来を守ろうとするスタンス」は変わらなかった。一切の揺らぎもなかった。
むしろ彼女の妨げになる自分を責め、可能性を奪うことを恐れて離れようとした。
生と死という尊厳を奪われた雲長は、己を閉じ込めた世を呪ったと思う。
でもその呪いを、人には向けることは一度たりともなかった。
花ちゃんにその先端に当てることすらなかった。
雲長はいつも内罰的で、誰かの手を引くことはあっても、手を引いてくれとは言わず、自分の幸いは諦めかけているのに人の幸いを軽く扱わない人だ。
あれだけ花ちゃんに陰ながら気を回し心を砕いておきながら、人に優しくしている意識がない。
自分が哀しいくらいに情の深い人間である自覚なんかない。
優しい人は、得てして自分が優しい事を知らないものだ。
自分が当たり前にさしのべた手に、どれほどの価値があるかも気づかない。
雲長が真に絶望したのは、繰り返した人生にではなく、きっと力及ばなかった自分自身にだろう。
災いに見舞われた孟徳も雲長も、壊れることなく正気であるがゆえに苦しんだ。
孟徳は、希望を忘れ、自分だけを信じて、人を信じることを放棄した。
雲長は、希望を諦め、人を信じても、自分を信じることを見失った。
雲長がもし壊れていたとしたら、ひどく優しい壊れ方をしたのだろう。
相手への悪意や攻撃性を忘れた壊れ方だ。
人を恨まず自棄にもならず、彼女が自分を愛していなくても、自分が彼女を愛していなくても、寡黙に気にかけ続け「自分と同じにはなるな」という尊厳を貫いた、雲長は幸せになってもらわないと世の中のつり合いがとれないくらい優しい。
ところで「本物」の「関雲長」は他の英傑と比べると逆に浮くだろっていうくらい絵に描いたような関羽という容姿なんですけども、なんかこれ、雲長みたいに取り込まれて完全に記憶なくした駒=玄徳や孟徳のようなキャラ、ということを暗に示唆しているわけじゃないだろうな……って思ってたんですけど、フォロワさんから「そういう考察してらした方がいました」と聞いて、あ、やっぱりそう考えるよね……って頷きながら怖くなったので我輩は考えるのをやめた。
まじで物騒なあの書物、キッズが集まる図書室に置くな!!!
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